同窓会からのお知らせ

同窓会からのお知らせ

HOME > お知らせ > 【特別寄稿】「日本の近代インフラの先駆者」古市公威(ふるいちこうい)という男 ―私が一日休むと日本は一日遅れる-

お知らせ

特別寄稿

「日本の近代インフラの先駆者」古市公威(ふるいちこうい)という男
―私が一日休むと日本は一日遅れる-
令和6年9月1日
同窓会長 大田 弘(魚高23回生)

(写真-1 古市 公威)
古市 公威(江戸武蔵国:1954~1934年)
<技術の目的は良き社会の実現>

近代土木の先駆者の一人、古市公威(1854年~1934年:初代土木学会会長)がフランス留学中の時、下宿の女主人がその勉強ぶりにあきれて、“公威、体をこわしますよ”と忠告すると、『私が一日休むと日本は一日遅れるのです』といったといいます。
国民的作家 司馬遼太郎は著書「この国のかたち」で古市を“文明の配電盤”と称し、世界から奇跡といわれた日本の明治近代化の原動力となったと評しています。

 1879年、日本工学会が工部大学校(現・東京大学工学部の前身のひとつ)の土木、電気、機械、造家、化学、鉱山、冶金7学科の第1期卒業生により創立されました。その後の工学の発展とともに各専門が成長し、次々と専門分野別の独立団体が創設され、その一つが土木学会(1913年~)です。
古市は、「土木」の本質が、真の工学であることを鑑み、「土木学会設立」という専門化を助長せざるを得ない歴史的出来事に、非常に深い憂慮の念を抱いていました。
「土木」が過度に専門分化してしまうことで、「よき社会」の実現が遠のいてしまうことを、強く懸念したのです。

テレビでお馴染みの藤井聡(1968年~:京都大学教授)は古市の思いを次のように解説しています。
『古市は、専門分化に伴って得られるメリットを最大化しつつ、それによるデメリットを最小化する方途とはいかなるものであるのかを悩んだのであった』
『土木学会では、何をやっても構わない、歴史であろうが文学であろうが、宇宙物理であろうが何をやっても構わないし、むしろ、何もかもを手がけなければならない、と古市は考えたのであった。しかしながら、土木学会会員は、全員、長くて切れぬ縄を自らの胴体に巻き付け、その縄の一方を「土木」という太い杭に巻き付けておかねばならない、とも同時に考えたのである』と。

(写真-2 藤井 聡(1968年~:京都大学教授))
(写真-2 藤井 聡(1968年~:京都大学教授))

 技術の細分化、専門特化の目的はあくまで「よき社会」の実現の手段です。技術は「人間を幸せにすること」との原点から外れてはならない!と古市は考えたのです。

<伝記の話は断るように>

 古市は死に直面した時、長男を枕辺に呼んで、伝記の話は断るように言ったといいます。『もともと仕事というものは、多くの人々の協力によって実現するものである。古市一人で成し遂げたように書いて、他人の功績を見失わせることは、後世を誤らせることも甚だしい』と。
技術者は常に驕ることなく、歴史の大きな流れを見失うなと、古市は戒めているのです。
土木(インフラ)にはその寿命の長さが故に自分が生きている間は本質的評価がされないという宿命があります。古市は現代社会に見られがちな「目前の評価」を期待するといった浮足立った思考を超越し、現生を超えた途轍もない使命を全うしようと生涯を貫いたのでした。

<働き”方”改革よりも働き”がい”改革ではないのか?>

 古市は、何をやるかではなく、何のためにそれをするのか、そのためにどう生きるのかが、技術に関わるものの基本作法だと教えてくれています。
働き方改革も生産性向上も同様です。人手不足解消の対処療法にとどまってはなりません。多くの人々のやりがいや誇りを取り戻すためのものでなりません。
働き”方”改革よりも働き”がい”改革ではないのか?と私は思います。

【追記】
後藤新平(1857~1929年:関東大震災後に帝都復興院総裁)のことば
「金を遺して死するものは下だ」
「仕事を遺して死するものは中だ」
「人を遺して死するものは上だ」

(写真-3 後藤新平)
(写真-3 後藤新平)
以  上