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お知らせ

特別寄稿

「日本の港湾工学の父」廣井(ひろい)勇(いさむ)という男
―工学(土木)の目的は「済民」-
令和6年4月1日
同窓会長 大田 弘(魚高23回生)

日本の現在のインフラを築き上げた土木偉人に廣井勇(1862年~1928年)という男がいます。NHKの朝ドラ『らんまん』の主人公・牧野万太郎と同郷(土佐藩佐川村)・同級生でした。
彼は敬虔なキリスト教徒でしたが、札幌農学校在学中の19歳の時に同期生の内村鑑三(1861年~1930年/キリスト教思想家)に対し
『この貧乏国に在りて民に食べ物を供せずして宗教を教うるも益少なし。僕は今よりは伝道を断念して工学に入る』
と宣言しました。北海道の民が飢えに苦しむ状況を目の当たりにしていたからです。

<工学(土木)の目的は「済民」>

 また、廣井は『もし工学が唯に人生を煩雑にするのみのものならば、何の意味もない。工学によって数日を要するところを数時間の距離に短縮し、一日の労役を一時間にとどめ、人をして静かに人生を思惟せしめ、反省せしめ、神に帰る余裕を与えないものであるならば、われらの工学はまったく意味を見出すことはできない』とも述べています。
彼の技術の目的は“発展”ではなく、経世済民(世の中を治めて民を苦しみから救う)でした。(経(・)世済(・)民:経済の語源)

(写真-1 廣井勇)
(写真-1 廣井勇)
<後世への責任感>

 廣井は小樽港北防波堤第1期工事(1897年−1908年)に心血を注ぎました。荒波に耐えるコンクリートブロックを製作するために考案したのは、北海道で容易に手に入る火山灰をセメントに混入して強度を増す方法でした。これが日本初のコンクリート製長大防波堤であり、100年の荒波に耐えて今も当時のまま使われています。

(写真-2 荒波に耐えるコンクリートブロック)
(写真-2 荒波に耐えるコンクリートブロック)

 廣井に纏わるエピソードは多くありますが、そのひとつが「百年試験」です。廣井は『50年経ずしてコンクリートを語るな』といって、累計6万個に及ぶ経年変化試験用(時間や環境によって強度などがどのように変化すのか)の供試体を作りました。
強度試験が毎年続けられ、いまだ約4千個が保存されています。彼は時の試練を経なければ、軽々と強度を保証してはいけないという戒めを残したのです。
言い換えると、自然に対する畏怖心と謙虚さ、後世に対しても自らの技術に責任を持つとの強い覚悟の表れでもありました。

経年変化試験用
(写真-3 経年変化試験用コンクリート)
<弔辞:君の事業より君自身が偉かった>

 親友の内村は、貧相な自宅で営まれた廣井の葬儀で追悼の辞を述べています。
『工学といえば今の世にありては、最も割のよい、富を作るに最も便宜なる技術と思われますが、我が廣井君にとりては、君の専門はかかる浅ましき目的を達するためのものではありませんでした』
『君のこの住宅その物がこのことの善き証拠であります』
『君の工学は君自身を益せずして国家と社会と民衆を永久に益したのであります』

『君が工学に成功したのは君が天与の才能を利用したに過ぎません。然しながら、いかなる精神を以て才能を利用せしか、人の価値はこれによって定まるのであります』
『世の人は事業によって人を評しますが、神と神による人とは人によって事業を評します。君の事業より君自身が偉かったのであります』と。

内村は廣井が大土木学者になって多くの功績を残したことよりも、廣井の生きざまの方を高く評価したのでした。
「天与の才能」は人によって異なりますが、廣井の生き方から、技術者としての普遍の作法が見えてきます。それは、技術の目的はあくまでも「民の幸せ」にあること、そしてそのために最大限の責任感、使命感を持つことであると思うのです。

(写真-4 筆者の近影)
(写真-4 筆者の近影)
以  上